『極端な話』
「極端な話」って前置し、本当に極端すぎる話をする人が稀にいる。
「柳田!もし何かのピンチにさらされて・・・
女の性器を食べなくてはならない場合、お前、どんな調理方法で食べる?」
なんというクレージーな発想。アメリカンな切り口なのだろうか・・。
一体?どんな状況でこんなピンチを迎えなくてはならないのか?
女性器を食べるって・・・・・・。
しかも、どんな調理方法って・・・・・・。
どこでどう間違ったというのだろうか・・・?
頭の中にあるどの線とどの線をつなげば・・・
こんな言動が生まれるのだろうか?
しかし、ボクの廻りを取り囲む仲間というのは、
こんな発想をさらっと口に出して言う人間がうじゃうじゃいる。
ここ迄くれば、笑いのセンスが、いいのか?悪いのか?よくわからない。
腹から笑う周波数がたまたま、こうなのであろう。
だが、追い討ちをかけるかのようにこの会話は続行。
何の疑問も口にもせず「塩もみだけで、つるっと・・・・・・」だとか
「南蛮漬けで・・・」ロシア名物「フォンディユ」でだとか。
口から泡を飛ばしながら、いい大人が激論を交わす始末。お先真っ暗。
ラビリンスも行き止まりって感じ。
「さすが!」というお褒めの言葉あり。
いやぁ〜まぁ〜〜秋田のきりたんぽよりはいいかも・・・っていう意見も。
本当はどっちでもいい。
でも、そのくせ、各自が持つ笑いに対するデッドラインもある。
この時、一番全員から怒鳴られていたのは「フライにして・・・」と言った奴。
あまりにも、「牡蠣(カキ)」と「アレ」が直結した第一発想だったのだろう。
こんな他愛もない事で、小便ちびる程、将来を否定され説教されるそんな仕事場。正直、あまり深入りしたくはないが・・・気づけば、その場の胴元のように大声で手を叩きながら笑っている自分がいたりする。
いやぁ〜奥が深い!(どこがや・・・・・・?)
コントの発想は、各自の好き嫌いが大きいと思います。
だから、発想の正解って、あるようでないものだと改めて感じます。
また個人的には、「極端な設定」や「キャラ重視」
「極端にリアルさにかけるいかにも作り物の喜劇」というものは
あまり好まない体質のようです。とはいえ、やはり奥深いものですね。
理想を言えば、「話の筋を壊さず、登場人物の個人芸をいかに自由に演出できるか!?」「セリフのない時間、どこまでその人物に憑依させられる環境を作る事ができるか?」それが今後の課題であり目標でもありますね。
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