『勉強しょう』
「教育・教養で人間は必ず変わる!」
「勉強はこの先の生活や人生を無限に楽しませてくれる大切な武器!」
最近、切にこう思うようになった。
やはり・・・こんな事をカッコつけずに考えるようになったのは血筋なのであろうか?今でこそ、こんな不埒な不安定な娯楽作・演出という職業を選んだ手前、説得力にかける身の上だが、父親筋は、代々教職を生業とした血筋。
母親方も勉強に対してだけはかなりうるさいタイプだった。
そして、このボクもその昔、明日の教育者をめざし教育実習迄行なった。
その昔、金に欲めいた詐欺事件が多発した時に
人間国宝・桂米朝師匠は、こう語っておられた。
「(笑い)って科目が学校にあればよろしいのになぁ・・・」
「だいたい世の中、そんな甘いええ話おまっかいなぁ・・・」
「いらん事には敏感なくせして、肝心な事には突っ込みもせんと・・・」
「そんなええ話なら、あんたがやったらよろしいがな!・・・
なんで、このセリフが思いつかんかなぁ。」
「もっと、寄席来て、落語や漫才、いろんなもん見た方がよろしいなぁ・・・。人生の縮図ですなぁ。寄席小屋ってな所は・・・」
「舞台には、与太郎やらボケやらに教えられる事も多いでっせ」と。
全くの同感。
「笑い」っていうか?
「笑える常識」「笑えない日常」という項目を、
学校が真剣に教えられるぐらいの余裕が欲しいなぁと切実に願う。
「葬式ごっこに先生が参加!」
「いじめでクラスの誰かが不登校!」
「教師が生徒に猥褻行為!」
「職員室でも先生同士のイジメ!」などなど数知れず。
これでは、何百年たっても笑えない。
成人式で暴れるヤンキーのどこがダメか?と言えば・・、
ずばり「あの盛り上がる行為が、おもしろい!」と思ってしまうセンスのなさ。こうコメントしたのは、ダウンタウン松本人志氏。
全くの同感。異議なし。
「ボケる」にも「騒ぐ」のにも常識としての限度がある。
やはり、笑えない立ち振る舞いは「悪」であり「シャレにはならない」のだ。
だから「もっと、しなやかに常識を身につけよう!」
「そして、もっともっと勉強をしょう!」
今回の「ビートニクス★コメディーショー」を支える
主要裏方スタッフは、ボクも含め3人。
この2人がまた、うらやましい程情報処理能力に長けたパソコンの使い手。
何よりも、整理整頓能力に優れているのがスゴイ!
そんな彼らが出会ったのが昨年の夏行われた、
浅草キッドの「お笑い男の星座祭り」のスタッフルームと化した、
高円寺の水道橋博士邸の書庫兼仕事部屋。
たいていの人間は、この資料書籍やらビデオやDVDがぎっしりと詰まったスペースに圧倒され、自分自身の不甲斐なさを知る事となる。
だが、彼らは全く違う反応をした。
「人の家に来て、いきなりなんですが・・・いやぁ〜イライラしてきました」
「電化製品の配線が気に入らない・・」
「ボクならこのスペースを三分の一に圧縮できますよ!」と豪語。
ホント、こんな台詞が一度でいいから言ってみたい!です。ハイ・・・。
2人とも、勿論、「頭はいいのですが・・・」
それ以上に「常識があってスゴクつき合いやすいよなぁ・・」と北郷と会話。
すると、それを受けた暫定リーダーの北郷が切り出す。
「博士・・・今回のライブ・・僕たちはともかくスタッフ陣は完璧なんですよ!
いやぁ〜〜僕の人脈ってまだまだ捨てたもんじゃないですね!」
「わかってるよ!って言うか?そもそも誰のライブで知りあってんだよ!」
「いや〜今年はキッドさんの星座祭りが、ありませんでしたから・・・
もう、みんなヒマでヒマで・・・神輿を担ぎたい担ぎたいって・・・
僕に言ってくるんですよね・・・」と冗談まじりで。
やはり・・もっともっと勉強しなければ!!
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